■  5歳 - 瑛子さん、売られる


1.

 母を探していた。

 知らない女の人によび止められ、強引に手を引かれた。
 自動車に押しこめられた。


 知らない部屋に閉じこめられた。電車の音がうるさい。
 泣き止むと、写真をとられた。



2.

 数人がかわりばんこに食事をとどけに来た。
 どの大人もしゃべらない。私も話そうと思わなかった。


 毎日毎日、計算と漢字のドリル、ラジオをきいて、窓やドアと戦う。帰りたい。



3.

 どこかにつれて行かれた。そこで会ったおじさんは、自分の家でくらさないかと言う。
 息がくさくてべたべたしてきて、気持ちわるかったから、その指を思いっきりかんだ。
 かみ千切った。



4.

 またどこかにつれて行かれた。何人かの男の人が居た。
 人間じゃない人も居る。黒い車にのった。
 帽子をかぶった人が口のガムテープをはがす。その手に噛み付くと後ろの男の人に殴られた。









■  12歳 - 瑛子さん、敵を知る


目が覚めると掛け布団の上に妙なものが落ちていた。

ほぼ黒に近い灰色の、鍔広帽。見覚えがあった。


寝ている間に来たのだろうか。どうせあいつも紳士的な振る舞をしていて変態趣味でも持っているに違いない。だが、相部屋の子に尋ねると誰も来なかったと言う。彼女は眠れないのだ。私は考えを巡らせる。そもそも忍び入った上でこんなものを残していくだろうか。

部屋の隅から離れない彼女を残して、私は帽子を持ち主の下へ届けることにした。

ここへ来て7年の間、その帽子の持ち主とはせいぜい二、三言しか会話したことはない。 理由もなく謝られたこともあった。あいつも組織の一員だ。その程度で私の組織に対する恨みは消えようがない。

こんな場所なら、死んだほうがマシだった。そう思うことすらある。

個室の場所は、監視役に訊くとあっさり教えてもらった。

組織のボスにも一目置かれていて、かなりの実力者らしい。長剣の一振りで何十人もの相手をも一度に切り殺すことができる、と。だが、情に厚い性格だとも聞いている。
情に厚くて暗殺の仕事などに就いている、というのもよく分からない話だ。相部屋の彼女のようにどこかおかしいのかもしれない。部屋に入ったとたんに切り殺されないだろうか。

心配になりながらも、扉をノックした。

返事は無い。ノブを回してみた。鍵は開いている。

そのまま、扉を押す。



中は八畳程度の薄暗い部屋で、木椅子が一つ置いてある。壁には洗面台と、埃で曇った鏡が張り付いている。反対側の隅には質素なベッドが設えてある。照明は天井から下がる電球が一つ。窓も無い。

もう一度扉を確認する。掛かった札には、確かにあいつのコードネームが書いてあった。



ここで本当に寝泊りしているのか。牢屋よりも酷い。それで鏡以外の何物にも、埃が積もっていないのが不気味だった。

引き返すわけにもいかない。

恐る恐る椅子に近付き、帽子を背凭れに引っ掛けて、足早に入り口へ戻る。

突然、部屋の中に、笛のような音が鳴り始めた。

聞いたことのある金属的な音。体がこわばる。



「届けてくれたのか」



振り返ると、革手袋を填めた手首が浮いていた。

部屋の真ん中に浮いた手首は、帽子を掴み、何もない空間へ翳した。帽子の中に人間の頭部が、次に黒に近い灰色の襟が現れる。袖、裾、ズボンとブーツが生えてくる。

空中の手首が、現れた身体に繋がった。

黒に近い灰色のコートを着て、私が持ってきた帽子で顔を隠している。そいつは密室に手品のように現れた。

帽子を離し、襟の合わせをこちらに向けた。

「どこにあった?」

相変わらず錆び付いた機械みたいな、それでいて穏やかな声で訊いてきた。

口笛の音は止んでいた。


「……私の部屋です」

「そうか…すまない。驚いたろう」


私は首を横に振る。その質問には帽子のことも、今の奇妙な登場の仕方のことも含まれているとわかっていた。

どうしてか、不思議とは思わなかった。

無意識に普通の人間ではないと勘付いていたのだと思う。



「わしは同じ次元には留まれぬのだ」



そう言うとそいつ、ブラックソードは今までの経験を語り始めた。

灼熱の大地、氷河の世界、闇だけが広がる無。ここではない幾つもの異次元へ飛ばされ放浪して、時には鬼に追われ、時には気の遠くなるような孤独を体感したという。

「最後の仕事の後だから、5時間ほど前か。移動中にこれを落してしまってな。無数にあるうちのどこへ行ったかと思ったが…」

珍しいこともあるものだと、帽子の向きを直しながらブラックソードは言う。
話の途中で椅子を勧められ、断って逆にこちらが勧めると、むずがゆそうに笑って腰を下ろした。その仕草はここに居る誰よりも人間らしく思えた。



私の耳にはそいつの体質が、どこへでも行ける力が素晴らしいものとして聞こえていた。だから私は、こんな質問をしたのだ。



「あなたは、自由なの…ですか?」



ブラックソードは微笑んだようだった。

「敬語はいい、楽にしてくれ。……これはわしの持病だ。どんな場所へも行けるが、自由ではない」

「組織があるから?」

「スケルトン・ナイツは……神羅との友情のために、自ら進んで手伝っている」



部屋が一瞬明滅する。何もない部屋の唯一の明かりは切れかけている。

ブラックソードはそこでやっと、背もたれに背を預け、静かに天井を仰いだ。



「そう……、今はそれだけだ」



長年染み付いた疲弊を吐き出すように、そう零した。

顔はやはり、不自然な帽子の影で隠れている。

それほど広い世界を知っていて、十二分に強い力を持っていて、どうして不幸なことのように語るのか。私が命以外の何を引き換えにしてでも、自由になりたいと願っているのに。私にはわからなかった。

「………」

「余計な話をしてしまったな。もう行っていい」

私は何も言わず扉を閉める。

「ありがとう」

扉が閉まる寸前、そう言われた気がする。私は何も言わずに駆け出した。



今考えれば、残酷なことだ。私は彼に嫉妬していたのだろう。










■  17歳 - スコルピオン、遭遇する




(狭い部屋、机をはさんで三十歳前後の男と初老の男が向かい合って座っている。それぞれの後ろには若い男が一人ずつ立って待機している)

「ご報告します。作戦は失敗しました」

「そ、そうか、しかしあれは死んだと聞いたが…」

「先人が居ました。襲撃先で鉢合わせ、こちらの兵5名と2人の幹部がやられました」

「…そうか、私以外にけしかけた者がいたか」

「ご存知ありませんか」

「ああ、私は知らん」

「…報酬は、完遂出来なければ無しという約束ですが」

「支払おう。仕方ないことだ」

「少しばかり上乗せさせて頂きたい」

「!?…なぜだ」



(席から身を浮かせる依頼主であろう男)


「幹部の死は予定以上の損失です」

「私の責任ではない!…いや、わかった。面倒事になるよりいい。(姿勢を戻す)(携帯電話の着信音)くそっ、だれだこんな時に。すまんちょっと待ってくれ」

「……」

「もしもし、ああ私だが……、っ!」

「……」

「なぜだ!なぜ知って、……そうだ……ああ……そうだが、上層部の者かどうかは…」

「……?」

「……わかった」


(携帯電話を操作し、机の中心に置く)


『はじめまして。先日はお騒がせしました』

「まさか…」

『こちらもできれば手を出さずに逃げたかったのですが…、いや、本題に入りましょう。件の事からそちらは、私に関する情報を掻き集めておられる』

「もう気付いたのか…?」

『やはり。予見していた通り』

「……それで」

『どうか見逃して頂けませんか。流石にあなた方とは相立ちたくはない』

「確かに探しています。が、どういう処分をするかは決まっていません。報復目的ではない可能性もありますよ」

『ならばとそちらに出向くのはあまりに怖い。取引をさせてください。私が頂いた報酬をそちらにお渡しします。その代わり今後一切、私には関わらないと』

「私に応じる権限はありません」

『それを持つ方とお話がしたい』

「今は居られません」

『…………では、交渉は不可能と…』

「……」


(唯一のドアが開く)


「!!」


(座っていた交渉役が椅子を引いて立ち上がる)

(鍵穴があったところは指が通るほどの丸い穴があいている。付き人を引き連れ、能面のような顔の男が入ってくる)

(強張った顔のまま、固まる)


「ボス…!」

「……私が直接話すことになると言うから、わざわざ腰を上げてみれば、何をしている」

「え…?誰が、そんな…」

『ようやく来て頂けましたか。スケルトン・ナイツのリーダー、神羅万将』

「保証人かなにかか?名前は?」

『言えません。日本最大の暗殺組織から逃げ切る自信はありませんので』

「何を要求する」

『その前に、そちらの仕事を奪ってしまったことを謝罪したい』

「…そのことか。なんという名を付けたか…幹部が死んだな」

『申し訳ないことをしました』

「どうでも良い」


(本当にそう思っていそうな声で)


『そうですか、では要求ですが、私の捜索を中止してもらいたい』

「……」

『必要でしたら、そこにいる顧客…もちろんあなた方の顧客ですが、その方を介して取引をしたいと思います』

「必要無い。元よりそれは、私から命じたことではない」

『…つまり?』

「一部の者が勝手に始めたまでだ。仕事には支障が出ないようだから、させるがままにしていたがな。だがこれ以上追わせても無駄が増えるだけらしい。すぐに手を引かせよう」

『……そうでしたか。いやはや、助かります』

「追いはしないが許すわけでもない。もしもまた邪魔になれば容赦なく叩き潰すつもりだ」


(同じ調子で淡々と言う)

(間)


『わかりました。今後も互いに不可侵でいたほうが良いでしょう』

「ああ」

『電話の持ち主に代わって頂けますか』

「呼んでいる」

「………!」


(一声も出さず、素早く携帯を取り耳に当てる依頼主)


『そういうことで報酬は頂きません。マルチポストは止めたほうが良いですね』

「ああわかったわかった!いいから早く切れ!」


(ハンズフリーから変え忘れている、部屋に響く通話先の声)

(通話が切れたのを確認して息を吐く)

(上司の隣に立ったまま、交渉役の男はそれを見つめる)


「……」

「聞いていたな。手を引け」

「………な、何故私に」

「隠しても無駄だ」

「……あえて言うなら、首謀者など居ません。我々は同じことを考えていただけです」

「お前は弁の立つ駒だが、少し勝手に動きすぎたな」


(一瞬のうちに、交渉役の額に穴が開く)


「片付けろ」



(運ばれていく死体。唖然とした顔で固まる依頼主)

(誰にともなく、聞こえるかどうかの声で呟く)

「失ったのは痛いが、所詮は駒。それに思い入れるなど片腹痛い話とは思わないか」






  ◇


瞬間。まさに瞬きをする間に、隠れていたそれに二人が倒された。始めは犠牲者自身の『影』かと思っていた。滑るように動くそれは、黒衣を纏った一人の人間だった。

ボウイナイフを構え一歩後ずさる。

天井のどこかへ溶け込んだ相手を探しつつ、また一歩下がる。とにかくこの部屋を出て、仲間と合流しなければ。彼らは私を守ってくれないが時間なら稼いでくれる。

一気に踵を返し、入り口まで駆け抜けた。やった、と思った瞬間、黒い布が目の前を遮った。






頬に、硬いフローリングの床が当たっている。気がついた時には後ろ手に縛られて転がされていた。ここはまだ『仕事場』らしい。
部屋の照明はついていないが、とっくに目は慣れている。生首と眼が合った。

「動いていいぞ」

おそらく私を縛った奴だ。声がかかった。

感覚で自分の状況を調べる。両足は袋をかぶせた上から縛られていた。頭部は猿轡もなにもされていない。

黒い布に視界をさえぎられた瞬間、頭か腹を殴られて昏倒させられたのだと思ったが、痛みはどこにも残っていない。体から意識を引っこ抜かれるような感覚が、あったのだが。

奇妙だと思いながら、胴体をくねらせ、なんとか身を起こす。


「面倒だな。呪術師も居るのか。仕事の前に結界を張ったな。 先に潜んでいたから気付かれていないが、問題は時間だ」

声は独り言を言うが、私に聞こえるように言っているのだろう。

目を凝らすと4つの死体が見える。標的と仲間が二人づつ。もっとも、仲間と思ったことなどないのだが。


窓から灯台の灯が差し込む。たしか、今日の仕事場は海が近かった。光に照らされ、窓際に声の主の輪郭が現れた。

服は和装か、覆面で目以外の部分を覆っている。肉食獣の鋭さを感じさせた。聴いた声からして若い男のようだが、外見に相応しいかどうかは判断が付かない。目を凝らしてようやく見えるほどに、男は闇に溶け込んでいた。

「術主のことは解るか?」

「知らないわ」

私は嘘をついた。組織には呪術や超能力を売りにした連中が居る。眉唾ものだが、実際に『仕事』をしている姿を見たことがある。今回も2、3人が配属されたはず……だが、それを話したところで生きて戻れる保障は無い。

「仲間を売ると思う?」

この男もその怪しげな能力を使うらしいが、嘘を見抜くことはできないのだろう。そうなら最初の受け答えで私の首は飛ばされていたはずだ。

組織内でも騙しあい、憎みあい、自分より弱いものを平気で殺す。殺しに快楽を感じるあのおぞましい連中と、同類のように思われることは、何よりも私の不快感を増徴させることだ。早く組織から介抱されたい、あいつらに爪の先でも復讐してから。

  その思いは常に、頭の角でくすぶり続けている。

「そうか」

落ち着いた張りのある声で男は言う。この状況下に覚悟を決めたのだろうか。 あるいは策の尽きてない余裕か。どうやら後者らしい。

「話してもいいし、話さなくてもいい。俺に対しては無意味なことだ。 今のうちに生き残る方便でも考えておけ」

「私を殺さないの?」

男の言い回しになにか引っかかった。恐らく、私が逃げのびた後のことを言っているのだろうが。なぜ。

「お前はこの場で殺すよりも、組織の中で泳がせておいたほうが価値がある」

灯台の光が巡ってくる。一瞬の逆光の中で、男の目が赤く光っているように錯覚した。それは僅かに笑っていた。
覆面の下に、肉食獣の牙が並ぶ威嚇に似た笑顔を夢想する。

「そう顔に出ていた」

「………わかった、今回の任務でそういうことが出来るのは…」

「必要ない。今終わった」

術者の名前を言う前に男が言った。
窓際から離れたようだ。同時に、周囲の空気が変わる感覚があった。手足を縛っていた縄が斬れた。刃物の風圧もなく、突然に。

「チッ、『千人斬り』か。見つかる前に逃げられるなら良いが」

男は何らかの方法で仲間と情報交換しているのだろうか。複数で行動しているなら術者のことも説明が付く。あるいはそれも魔術なのだろうか。
これも報告に入れるべきか、と、不思議と冷めた頭で考えていた。

ヒュールルルル。
金属を通り抜ける風のような音。来た。
気配は入り口で警戒しているはず。判断して私は窓際へ走った。だが突然、頭をつかまれ壁に押し付けられた。
あの男は彼の二つ名を知っているだけでなく対策も知っていたらしい。うかつだった。
しかし、さっきまであれだけ喋っていた相手の位置がつかめなかったのが不思議だった。

「少し、早かったようだな」
音の響きが中断され、金属の擦れ合うような声が聞こえた。
『千人斬り』と呼ばれた声が。

「言うことはあるか」

「俺の意識が途絶えた瞬間に、このガキは死ぬ。首を飛ばそうが他次元へ送ろうが同じだ」

「む」

そのようなことが出来るのだろうか、出来たとして、この短時間に仕掛けられるのか。しかし嘘と決め付けることは出来ない。闇の声は僅かに焦りを含んでいる。
『千人斬り』も動揺しているようだった。

「………」

「お前の『視線』も感知できる。後を付けるな。ここを離れてからニ時間後までに、俺の安全が確保されれば術を解除する。こいつに死なれたら困るのはお互い様だ」

「………」

音が再開されることはなかった。

気がつくと、窓が開かれた部屋からひとつの気配が消えていた。 遠くで灯台の光に黒い鳥のような影が、一瞬浮き上がるのが見えたきりだった。
そして『千人斬り』であるブラックソードの手が、私の肩を抱えていた。




本部に戻った私は危うく『尋問』という形で嬲り殺されるところだった。小隊を半壊滅させた敵について、ブラックソードが事細かく話してくれなければ命は無かっただろう。
その内容にはでたらめな尾鰭がついていたが。彼は始終真剣な声色だった。
馬鹿正直で通る彼にそんなユーモアがあるなどとメンバーは疑わなかったし、私も予想の外だったので心の内で驚いていた。

ブラックソードには、大きな借りを作ってしまった。






  ◇



 この事件が切欠だった。

 なぜブラックソードとあろうものが、相手を始末できなかったのか。
 なぜ私が殺されなかったのか。

 これらをうやむやに出来たのは、彼のおかげだ。

 ―――お前はこの場で殺すよりも、組織の中で泳がせておいたほうが価値がある。
 赤く光る目とともに、あの場で言われたことを思い出す。
 ブラックソードが私をかばう理由と関係しているのだろうか。記憶が薄れる前に、密かに彼に聞いた。

 ブラックソードは、ただ静かにうなずいた。
 そうして鈍い私はようやく気付いたのだった。





■  23歳 - スコルピオン、上司と往く



(ある屋敷)

(中年の男女の死体が転がる部屋、
  開いた戸棚の前に、コートの女と、青龍刀を床に突いた男。)



A「まだ居るじゃねえか」



(戸棚の中に一人の少女。涙を浮かべ、声も出さず震えている。)



S「……アキレス」

A「なんだ」

S「まだ小さな子供よ。殺すこともないわ」



(『殺す』という単語に反応して少女、ビクリと体を震わせる。)



A「こういうのは徹底してないといけねえんだ。決まりだから仕方ねえよ(白々しく)ほれ、スコルピオン」

S「……」

A「やりたくないか、仕方ねえなぁったく…」



(少女の腕を掴み、軽々と引きずり出す男。)

(少女を奪い取る女)



A「…てめえっ…!」



(青龍刀を構える)

(ここで背後から声。)



B「何をしておる」



(声がした方に目を向ける二人。そこに佇む黒いコートの男。
  扉の無い壁を今通り抜けて来たかの如く。)



B「何が起きた」

A「目撃者ですよ。ここに隠れていたのを…」



(『ここに―…』あたりから女を見下ろす、二人。)



S「おねがい、許してあげて。まだなにも分かってない、警察に話すことなんてできないわよ」

B「スコルピオン」


(間)


B「その子はお主ではない」

S「……」



(抱きしめていた腕を緩め、少女の顔を伺う女)

(少女は未だに震えている。)



B「……」



(一瞬、コートの男の体がわずかにかすむ。)



B「この子は逃がして良い。車に戻れ」

A「わかりました」



(女、少女を離してゆっくりと、名残惜しそうに立ち上がる。)



B「わしは塀の外で張っている。第二班が来るかもしれん」



(コートの男の姿が消える。)



(女、出口に向かう。)

(男の姿は女の影に隠れ、その様子は見えない)

(付いてくる気配は無い)




A「甘いんだよなあ、お前等は(笑いを含んだ声)」



(刀が肉を断つ音)

(女、振り返らず、目を見開いて立ち竦む。)

(間をおいて水音と、三度、重量のある物が床にぶつかる音)



A「…おい見たか?ははは、すげえ跳ねたぞ今!」



(ゴロゴロ…ゴロゴロと、ボーリング玉を蹴り転がすような音。徐々に近付いてくる)

(女、振り返らず、目を見開いて立ち竦む。)

(転がす音が止まる。)



A「おい」

S「……行きましょう」



(部屋を出る。)



A「(舌打ち)」






(屋敷の中庭、玄関の前)

(二台の車、黒いバンが停まっている。数人、組織の構成員が乗り込んでいく)

(男と女、屋敷から出てくる。)



S「……」



(女は立ち止まる。男は車の入り口に片足を掛けて振り返る。)



A「どうした」

S「……戻らせて」

A「後片付けはブラックソードに任しとけ。すぐ逃げられねえお前じゃ意味がないだろ」



(バンの後部の窓から、幹部の一人が顔を覗かせる)



C「勝手な行動をするな、スコルピオン」

S「……」



(向き直る幹部。)

(改めて車に乗り込もうとする男)



A「武器を落としたみたいなの。すぐ戻るわ」



(男、あまりにわかりやすい嘘で、呆気に取られたという顔。)



A「お前なあ…」

C「わかった。行け」



(女、屋敷に走る)
(幹部の顔が捻くれた笑顔に歪む)


A「何考えてんだ、カメレオン?」

C「あいつはどうも最近、反抗心が戻ってきたようだからな。誰かさんも感化されてるほどだし、すこし現実を見せてやったほうがいい。特に、その誰かさんにな。2分経ったら車を出せ」


(車内の構成員の数人が、幹部に目を向ける)



(幹部の姿が、ゆっくりと背景に溶け込んでいく。そのまま言葉を続ける)



C「文句があるなら――……」


(奥の席から躍り出た構成員が首を撥ねられる。車内天井をかすかな光の筋が、点滅しながら滑っている)

(車内に張り詰めた空気が流れる)

(ふいに、誰がとも言わず窓の外に注意を向ける。全員の視線が走って戻ってくる女へ集まる)



(左手に携帯電話。右手に、鍔広帽を下げている。帽子の鍔は大きく裂けている)

(珍しくわずかに息を荒げながら、口を開く)



S「彼が、居ないわ」



(間。)



C「そうか。落し物はどうだったね?」

S「……回収した。ごめんなさい」

C「さっさと乗れ」



(女、無言で車に乗り込む。)

(いくつかの目に睨まれながら、帽子を膝に乗せて座る。)






(二台のバンが発進する)