「よう」
「久しぶりだね」
「ああ」
「コーヒーを入れようか」
「そうしてくれ」
「意志力で作らないコーヒーもおいしいでしょ。
この味にするには苦労したんだ」
「向日葵の種か」
「うん」
「衛星の打ち上げは成功したみたいだね」
「連中が頑張ってくれた。あればかりは知識がないとな」
「いつか植物が、宇宙の全部を覆い尽くすのかな」
「どうだろうな」
「麦穂の流星群が観れるかもね」
「この間、雄治が来たよ」
「一人でか」
「『再生会』に深く関わってる人たちは、私にあまり会ってくれなくて。
鞘のベルトが壊れていたから直しておいた」
「……お前に直してもらった方がいいって?」
「そう。よくわかったね」
「言いそうなことだ」
「ゴドーが会いたがってたぞ。戻ってこないのか」
「いつか手分けしたほうがいいと言ったのはケンじゃないか。
世界に散らばった『オアシス』の整備はひとつの大隊じゃ追いつかないって」
「……今は、三十六隊に分かれて、最近百五番目の拠点ができた。
元からあった共同体に寄り合ってるだけだがな。
それぞれのチームの質も、まあ悪くない」
「ケンもやればできるじゃないか」
「俺はなんにもしてねえよ。周りの奴らに頼んでるだけだ」
「僕だってそうだった。大変でしょ」
「まったく、仮リーダーなんて押し付けやがって。今日になってやっと自由に動けるようになったんだからな」
「へへ、ごめん」
「だがな、その……」
「私が独りで居る理由にはならない?」
「植林の目標は、ケンには話したっけ」
「第一目標だったか。地上を埋めつくすんだろ」
「それもあるけど、考えていたのは植物の生体を意志力から独立させること。
力を尽くす対象が個の意志を持つ『隣人』だと思えることだね。
本物の種は貴重になっちゃったけど、意志力で作ったものと交雑しても偽物になったわけじゃない。地上を汚染していた放射能の残留物や滅茶苦茶にいじくった環境でも、生きていける強い種になったと私は思うよ。
いつか失われた地上の恒常性を取り戻した時に、私たちのひとつの仕事が終わる。
そう考えていた」
「それ、子供の頃は考えてなかっただろ?」
「イメージはあったよ。言葉にできるようになったのは大人になってからさ」
「ネクロティアの残党に聴かせた演説なんか勢いだけだったからな」
「六歳児にそこまで求めないでよ。もう、いつまで言うんだよそれ」
「ハハッ」
「植物は茂って、枯れて、次の種を残していくでしょ?
サイクルが繰り返されることで土は肥えていく。他生物が発生する基礎も出来る。
……で、それに関しては八割くらいかな。ニュースだとミジンコが見つかったみたいだね」
「半減期は過ぎたからなあ」
「たしか意志力の昆虫は一足先に導入されていたっけ。
蜂蜜が食べたいって言ってた人」
「ああ、なるほど。今度は本物を育てるわけか」
「そうそう。いつになるかわからないけどきっと出来るよ。
もともと居た種類を揃えるだけでも数千年は楽しめるんじゃないかな」
「世界の創生をもう一度やりなおしてるみたいだな」
「それができたら畜産かなあ。動物を育てたいって人もいたよね」
「気が早いな」
「裏の話をしようか」
「そいつは聞いてみたい」
「目標はなんでもよかったんだ。
植物への関心が私とゴドーに共通していたのと、大きな目標の起点なるだろうと、感覚的に知っていたからだろう。ひとつの目的に取り組んでいる間は、希望が持てるわけだから」
「……」
「楽しかったよ。本当に。
皆で、いつまでも緑で埋まらない荒野を駆け巡って、楽しかった。
ずっと続けばいいと思っていたよ」
「……俺もだ」
「おかわり要る?」
「まあな。今の『オアシス』じゃあ、昔みたいに気ままな旅とはいかないだろう。
宇宙の方は相当苦労してるみたいだし」
「……ふふっ」
「どうした」
「最初にスナガが挑戦した時のこと思い出した」
「ハッハッハ!あれか、摩擦熱で焼鳥になってた。ハハハッ!」
「大変だったよね本当。やめたほうがいいって言ったのに」
「引力とも戦いたかったんだろ」
「スナガらしい」
「宇宙に、楽に行けるようになったら、またお前も旅ができるか」
「さあ。行ってみたいとは思うけど……。
旅は楽しいけどさ、そこまで執着してるわけじゃないんだ」
「じゃあ、なんだ。騙し騙し続けるのが嫌になったのか?」
「………」
「すまん。悪い意味じゃない」
「ううん。私はね、騙しているとは思ってなかったよ。自分も皆も。
でも、いずれ気付いてしまう時は来るんだ」
「何をだ」
「ただ繰り返してるだけだって」
「近い未来、各地の拠点はそれぞれ独立するかもね。
あと今後も『再生会』と良い関係が続けばいいけど、すれ違いはあるかもしれない。
昔は僕らも取るに足らない小さな共同体だったけど、今となったら、ね。
どんな形かはわからないけど、戦争も起こるかも」
「おいおい。良いのかそこまで」
「思念なら流れ出さないよ。『千里眼』にコツを教えてもらったから」
「……じゃあ、いいか。
俺も同じ意見だ。今は微妙なバランスの上にあるな」
「さすがケン」
「どうとでもなるだろ。変な気を起こす奴がいたら潰すだけだ」
「うわー、恐怖政治だ」
「なんとでも言われてやるよ。たしかに、人類は何も変わっちゃいないのかもな」
「そう、嘆くことじゃないんだ。衰退期はまだまだ先みたいだし」
「………」
「ところで」
「なんだ」
「絵美のことなんだけど」
「……ん、ん?
な、なんだ?絵美がどうした?」
「式の時、ケンが覚えてる歌を聴かせてくれて、なんだか懐かしい感じがあったって」
「そんなのは気のせいだ。気のせい。忘れろ」
「うーん……そのことが『生命の壺』の研究に繋がるかもって、『再生会』の人たちにも話したんだけど」
「……熱っつ!」
「あちゃー。拭くもの持ってくるね」
「あーあ、もったいねえ」
「また淹れるよ」
「壺の仕組みは、造ってる彼らですらわからなかったんだって。
ただ命が生まれる壺を、最初に作った人から伝承され、いろんな宗派と魔術師が手を組んで手分けてして何度も作っていくうちに、いろんな思想や概念が混ざっちゃいました。というか」
「お、おう」
「僕の中にある記憶はもしかしたら、絵美を知る人たちから思念を伝ってきたのかもしれないし、あるいはただの錯覚なのかもしれない。
でも、僕自体に彼女の魂が混ざっていることも、ありえるんじゃないかな。
もしかしたら一度転生しているケンも、元の純度の魂ではないかもね」
「……」
「その話し合いの後なぜか『内密に』ってしつこく言われたけど……なんでだろうね。もう時効かなあと思って……聞こえてる?」
「…………あ、ああ。大体わかった」
「考えたくないなら考えなくていいよ」
「ゴドーの話してもいい?」
「したらいいじゃねえか。遠慮することか」
「すると苦い顔して聞いてたじゃない」
「それは、だなあ。なんつーか、罪悪感が」
「……えーと、いいかな」
「ああ」
「今、僕を待っているゴドーは、最初のゴドーと同じなのかな?」
「………」
「アハハ。別に偽物だなんて言ってないよ」
「お前、会ったことはあるよな。転生後も」
「うん。彼は間違いなく育ててくれたゴドーだ。普通に生きていても変わっていくのにさ、ちょっとくらい仕方ないよ。
……いや、変わってしまったのは僕かもしれないね」
「セネカ」
「どうでもいいことなんだ。ごめん」
「話し方、戻ってるぞ」
「………」
「自分のことを『僕』と」
「……気付いて、いたよ。僕、いや私も。昔みたいだ。どうしてだろう」
「さあな」
「死ぬことが怖いのかな。生命の壺へ戻ることが」
「老衰なんかじゃあ死ねないだろ」
「ううん、それまでにあった『感覚』が、少しずつ鈍くなっていくのがわかるんだ。
肉体だけじゃない。心も年老いていくってことさ」
「………セネカ」
「……きっと大変革は、文明の跳躍だったんだろうね。
大変革によって当時あった宿題が、おおかた消えてしまったんだ」
「………」
「どれほど満たされても人は不満を持つ。そう出来ているんだよ。調和は停滞だから。
完全な平和が存在しないのは、実は皆、そんなものを求めてないからなんだ」
「………」
「昔は気にならなかった。僕にとっては全てが初めてだったからね。
でも、いつか行き詰って壊れてしまうのが、自分で壊してしまうかもしれないのが、
今はとてつもなく怖いんだよ」
「………」
「………」
「勉強のしすぎだ。小難しい理屈ばかり捏ねやがって。
要するに悲しませたくないから独りにさせろってことだろ」
「その通りだよ」
「馬鹿」
「うん。まったく、その通り」
「………」
「ゴドーは、やさしくて、正直な人だ。
生きるためには手段を選ばないけど、殺すしかなかった相手を弔うこともできる。いつからか、彼や、彼と同じ境遇の人たちが、できるだけ悲しまない方法を考えるようになっていた。
僕にとってゴドーは育ててくれた恩人で、世界を見通す基準で、最初に救うべき友人だった」
「そうか」
「生命の壺から生まれると、孤独なんだ。全てがやさしい人と出会ったり、希望を持てるわけじゃない。誰にも知られないで、自分の為だけに生きて、死んでいく子が今でもいる」
「………」
「そう考えるとさ、生まれた時から親子の繋がりがあるって、安心できない?」
「親だって選べない。俺は煩わしかった方だし」
「そうなんだ」
「放任主義でね」
「親子らしいことはなかったの」
「自分の手で飯も作らねえ親でさ。問題起こしたら電話で『面倒を起こすな』
子供は金さえあれば勝手に育つと思ってたんだろ。まあ、育ったんだが。
くだらない奴らだった……だったけど、正直」
「うん」
「世界中を周っている間、探してた。
大変革の時は、世界規模の混乱だ。どこにいたかもわからない。死亡通知も届かなかった。
まあ、だから、そんなはずはないけど。
生きていたとしても、何も感じるところはないけどな。
俺をほったらかしていた間、何考えてたのかとか、連絡がない間どうしてたとか、
一応聞いておきたいし、こっちから報告したいこともあるし」
「うん」
「自分の息子が世界を滅ぼすとか救うとか妙な事に巻き込まれてさ。
結果、今はこんな事してるだとか。
……そんな話したら流石にあの頃みたいに、無反応なわけないだろ。って」
「……うん」
「考えることはある」
「褒めてもらいたいのかな」
「馬鹿言え。見返してやりたいだけだよ。なにニヤニヤしてんだ」
「すごく親子らしい関係じゃないか」
「やめろよ」
「生殖で子供を産もうとしたのは、まだ僕らだけかな?」
「身もふたもない言い方はやめろ」
「『再生会』の提案をのんだのはね、
子供を産んで育てるっていうのも、大きな目標になると思ってたから。
なんといっても自分たちの問題だからね」
「ああ」
「人の身体で産む子は、未発達なままなんだってね」
「そんな話も聞いたことがあるな。数か月経たないと歩けない胎児を育ててるって」
「いろんな説を聞いたけど、まとめてしまえば環境の問題だね。外敵の危険がなかったから。
あと、直立歩行になったせいだっけ。恵まれた環境に生きていたんだね。
植物にも当てはまるけど、過渡期に入るとそれ以上増えなくなって減少するんだ」
「同族で、殺しあったりもするのか」
「栄養が分散して弱くなってしまうことはあるけど……」
「つらかっただろう」
「もう忘れてしまったよ。
でも思い返してく内に、まだ僕たちは未熟だったんだって実感するよ」
「……そうか」
「うん」
「もう俺たちは別の生物になってるものだと、思い込んでたな」
「生命の壺はすごいよね。あんな大変な反応を毎回起こしていたわけだから」
「負けたか」
「勝ち負けじゃないよ」
「お前は、よく頑張った」
「ありがとう。
僕の体から出産した子供たちは、生命の壺の子供とは違う感じがした。
特に、どこが、とは言えないけどさ」
「わかってもらえるといいな」
「うん。次があったらうまくやるんだけど」
「………」
「あ、今からでもいいよ」
「馬鹿」
「冗談だよ」
「僕の心には仲間への博愛はあっても、一人を愛するような情愛はなかった」
「わかっていた」
「それでも良いと言っていたよね」
「必要としなかったんなら仕方ない」
「でも信じている人もいるんだからさ、それも真実のひとつだよ。
彼らから見たら、合理主義で、冷酷で、淫らで、不自然だから」
「セネカ、俺は……」
「わかってるよ。
理屈と感覚を分けて考えられる。
そこがケンの良いところなんだし」
「……悪いところでもあるがな」
「ふふっ、でも、実はね」
「僕は、誰か一人のものになってはいけないと、そう感じていたんだ。
誰かが聖人と呼び、誰かが天使と呼んだから、
ただのリーダーではなく、守られるだけの子供ではなく、
僕は『超人』に変わらなければと、いつからか思い込んでいた」
「……」
「君一人だけに与えて、他の人たちにも分け与えないわけにはいかない。
馬鹿げてるけどさ、その時は真剣だったんだよ。
意志の力さえあればどうにかなるってね。
まあ、でも、結果的に、全て駄目にしてしまったんだけど」
「………」
「暴走して、嘘をついて、君を傷つけていたのは、
子どもたちを殺したのは、私自身だ」
「セネカ」
「うん」
「お前は悪くない」
「言うと思ったよ。君はそう言うしかないんだ」
「関係ない」
「………」
「なんと思われようが、お前はお前だ」
「………」
「戻って来て欲しいんだ、と」
「……………」
「心も定まらないままなのに、
ケン、君はそう言うことしか、できないんだろ」
「生涯に一個体だけと交わって死ぬ生物は短命なものばかりだ。普通百年も生きていれば、何度も発情期が来るのなら、従うのがその生物のペースだと考えることもできる。
百年続く誓い、のような、ロマンを重視しないのならね。
僕らは寿命を忘れた。死に瀕しても強い意志があれば転生できる。こうなると種の保存なんて考える必要もない。結果、発情すらコントロールしようとしている。人口過密は恐ろしい虐殺を産むとわかってる。未来の殺す悲しみを避けるために、今交わらないよう意志が伝播する。
僕らは『娯楽のように』子供を作るようになるのかな?
そうなったとして、命に誠実でいられるのかな。
生殖には攻撃行為の一面もある。繋がりによって相手を支配することもできる。
人類同士による生殖活動が再開できると『希望派』の間で発表されないのは、問題が残っているからだ。今の世界には不貞を裁く基準がない。文化が違えば貞操の定義すら変わっていく。
僕らは確認しようとしなかった。
いや、きっと、大変革以前も解決しなかった問題だったんだろう。
心は嫉妬するし、嫌悪も憎悪もある。産めや増やせと呼びかけても簡単にはいかない。産まずに愛し合う人も居る。産めない組み合わせのまま愛し続けたい人も居る。文化を統一しても、あるいは分割しても、誰が我慢して譲っても、破滅の種になると『再生会』も僕らもわかっているんだ。戒律が視野を狭め、壁を作り、誰かの権利を奪って、対立を生むことになる、と。
だから、見ないようにしている。
気付いてただろう。僕という無性のリーダーを持ち上げ、皆が争いの種を無視することで、オアシスは存続してきたんだ。
あの日多くの仲間が欲望を自覚して、それが『ワンダリング・オアシス』では果たせないと知って、『絶望派』へ反転してしまったのを、君も見ていただろう」
「………」
「もちろん、破滅の種は性欲だけではない。
だけど最も捨てられないものじゃないかな。
僕らは当然のように衣服で体を隠すよね。なぜだろう。そうすることで『人類』に近い姿を保とうとしているのかもしれない。
それを忘れてしまえば、獣になるか、『貝』のように全ての感覚を閉ざしてしまう。
文明が崩されてなお残った、個々の性があるからこそ持ち込まれた、過去の遺産としか言いようがない」
「日本とよばれた国と、君自身の人生で作られたそれは重要な遺産だ。
共感してくれる人もいる。
だけど、君は、それに確かな自信を持てない。
約束を破った、私を、裁くことができない。許すこともできない。怖いからだ」
「………」
「自分が傷ついたからといって、感情だけで私を裁けない。
かといって自分の信念を捨てて許すこともできない。
何もできないんだ。
式の前に君は約束を与えてくれた。
約束を破ったのは私なのだから、それだけで十分、罰に値するはずだろう。
撃ち殺されても責めやしない」
「………」
「シンボルだったのは、未分化の僕だ。
新たな人類の希望だった『僕』だ。彼はもうどこにもいない。
今君の前に居るのは、君と婚姻し、別れた、淫らな聖母の『私』だ。
……君が仮のリーダーなんて名乗っているのは、昔を忘れられないから」
「……まったく、人を好き勝手いいやがって。
最初の一人がタフすぎたから仕方ねえだろ。いや、言い訳か」
「ううん。言い訳じゃないよ。君の最初の大切な人。
雄治がタフすぎたから、それに、絵美が壊れてしまったから」
「………そうか、そっちか」
「ほったらかしの傷だね。あの時の雄治よりも治らない」
「…………」
「無理に治してはいけないよ。
苦痛から逃れるためだとしてもね。
もう、君を押し潰したくはない」
「まだ諦めない?」
「ああ、ガッカリさせたくないからな」
「誰に対して言ってるんだか」
「すまん。………じゃあ、またな」
「うん。またね」
「………いつか」
「いつか、もう一度、お前が自由になれる日は来るのか」
「さあね」
「でもそうなったら、きっと素敵だろうね」
終